「スピード感を持って…」にモヤモヤ。その正体は「言葉のパッケージング」だった【モヤモヤ語録】

「スピード感を持て…」というフレーズにモヤモヤ

今朝もニュースで見掛けてしまった「スピード感を持って…」というフレーズ。

見聞きするたびにモヤモヤしてしまうw

このフレーズ、どうも苦手です。しかも、世の中で増殖中ではないでしょうか。

「スピード感を持って」って、急ぐの? 急がないの? どっちなの!?

「スピード」と「スピード感」では意味するところが全く違う

「スピード感を持って」というフレーズを見聞きするたびに感じるモヤモヤ感の正体は、おそらく「みごとにパッケージングされた便利なフレーズであるところ」に由来していると考えています。

「言葉のパッケージング」とは、本来なら多数の項目に渡って伝えなければならない情報量を極限まで縮め、短いフレーズに押し込めている状態。

そのため、結局のところ「言っていることがわかりにくい」「どのようにでも受け止められる」、つまり「曖昧な状態」になってしまっているのではないでしょうか。

意地悪な表現をすれば、「事細かに説明しなくてもわかりますよね?」などと「状況理解を丸投げされた?」と感じてしまいます。

たとえば、「スピード感を持って対処いたします」というフレーズ。受け手としては次のような「意味」「ニュアンス」が含まれていることを期待するでしょう。

「スピード感を持って対処」に期待すること
・急ぎます
・優先順位を上げます
・進展を止めません
・過不足なく進めます
・前向きに取り組みます
・できるだけ早く結果を出します
・など

こうした「期待に応えるため」に、意味やニュアンス、現状を事細かに説明するとしたら、それ相応の「コスト(手間)」が掛かります。また、詳しく説明すればするほど「責任(実行責任など)」がついて回ります。

「スピードを上げて」と言い切ると責任問題になるから「スピード感を持って」なのか?

また、「スピードを上げて」と強い言葉で言い切った場合にも「責任」がついて回ることでしょう。

何しろ「スピード」とは、単位時間と距離(進展度合い)によって表される「物理的な量」であり、「測定」や「比較」が可能になるためです。

一方「スピード感」とは、発信者の「主観」に基づく「感覚」や「意思」と言えます。物理的に測定、定義することは難しそう。

そのような観点から考えてみると、

「今はまだ、そこまで強く言い切れない」
ただし、
「放置するわけではない」

などといったケースを説明するために、非常に便利なフレーズとして「スピード感を持って」が誕生したのではないでしょうか。

ですので、モヤモヤ感解消のためには、「なるほど。実際の取り組みはこれからということなのかな?」と受け止めれば良いような気がしてきました。

しかし、それだけではまだスッキリしませんw

「スピード感を持って」が生まれた背景を知りたい

ここまでの理解だけですと、どうにも「お役所言葉」とか「責任逃れ」といった、ネガティブな印象が強調されすぎてしまうように感じています。

また、うっかりすると単なる「言葉狩り」に終わってしまいそうです。

「スピード感」という言葉に罪はないはずです。それに、この言葉に含まれているニュアンスは「何となく理解」可能です。

その上でですが、どうして「そのような表現に至ったのか?」や「スピード感を持ってというフレーズが生まれた背景」にこそ、「大事な何か」が隠れているような気がしてなりません。

もう少しだけ、掘り下げてみます。

「言葉のパッケージング」について少し詳しく

今回のテーマとして取り上げた「スピード感を持って」については、ジブンとしては「言葉のパッケージング」がうまく働き過ぎ、「コンパクトにまとまり過ぎている」との仮説(考察、見立て)を採用してみようと思います。

「言葉のパッケージング」は、マーケティングや広告、商品、サービス名、キャッチコピーなどといったビジネス方面から、動画やブログのタイトルなど、身近なあらゆる場面で機能しています。本来的には「ポジティブかつ有効に活用すべき機能性」です。

さらにいえば「普段の会話」でさえ、言葉のパッケージング無しでは不便極まりないだろうと思うからです。

日常会話で言えば、たとえば、

わたし:「今日の晩ご飯、何にする?」
あなた:「そうだなあ、今の気分は中華かな」

といった短い会話の中にもパッケージングの例が複数。この会話をもう少し詳しく見直せば、次のような要素に「分解できる」でしょう。

日常会話を「要素に分解」
【晩ご飯】
【何にする?】
【今の気分は】
【中華かな】

そして、「驚くべき事実」はここからです。

パッケージングされた言葉に含まれる「情報」の大半は、無意識のうちに処理されている

分解した要素をさらに細かく分解していくと、びっくりするほど多くの情報が見えてきたのです。

「分解後の要素をさらに分解」して見えてきた真の情報

【晩ご飯】
 =毎日の夕食という共通認識

【中華かな】
 =中華料理全般を指す
 =具体的なメニューまでは決めていない

 …などなど

長くなりすぎるので省略しましたが、個人的経験を含めつつ、もっともっと詳細に書き出していましたw

そして実は、ここまで書き進めながら一番驚いたのは、「スピード感」という言葉に見えてきた背景や「晩ご飯の会話に含まれる情報量」ではありませんでした。

ジブンたちは普段、パッケージングされた言葉に含まれる膨大な情報を、【ほとんど無意識のうちに補完して会話しているという事実】だったのです。

「言葉のパッケージング」を成立させる「相互の共通認識」は、コミュニケーション頻度・濃度の結晶かもしれない

というのも、この「晩ご飯シーケンスw」の解析作業を行って見えてきたことは、会話の主である「わたし」と「あなた」の間に築かれた、いわゆる【暗黙知】や【あうんの呼吸】のような「共通認識」あるいは「相互理解に基づく前提認識」の必要性、重要性だったからです。

そうした「共通認識」「前提認識」を得ておくためには、日常的なコミュニケーションが不可欠と感じました。

そして、共通認識や前提認識が無い、あるいは不十分である場合、最悪を考えると「致命的な【すれ違い】が起きかねないという事実」に戦慄を覚えたのでした。

「言葉のパッケージング」が正しく成立(機能)するか否かは、日常的なコミュニケーションを通じて形成される「共通理解」「共通認識」が重要と言えそうです。

このテーマ、とても興味深いですし、他にもたくさん「モヤモヤしがちな言葉」があふれているように思えてきました。

あれこれ面白そうですので、今後またモヤモヤ語を発見したら、積極的にブログネタとして取り上げていこうと思います!

振り返って

この記事を書いて思い当たったのですが、「モヤモヤする言葉」を追い掛けているつもりが、結局は「人はどうやってお互いを理解しているのか?」という話に行き着くことが多いものかもしれません。

そう考えれば、また今回の考察に拠るとしたら、「スピード感を持って」というフレーズの発信者と受け手の間では、胸を張って「日常的なコミュニケーションは充分取れている」と言える状況なのでしょうか?

モヤモヤしてしまう真の原因は、案外「この疑問の存在だった」かもしれません。

つまり、ジブンが知りたかったのは「スピード感を持って」という言葉の意味するところではなく、「では、具体的にどう進めるのでしょう?」ということだったのでしょうね。

ここまでたどり着いて、ようやく少しスッキリしたような気がしてきました!